枚方の女性鍼灸・妊活・逆子ならレディース鍼灸リブレ

大阪枚方 | 逆子・安産灸・つわり・妊活支援 マタニティー鍼灸と女性鍼灸 専門 -レディース鍼灸 リブレ-
大阪枚方 レディース鍼灸 リブレ
リブレへの予約・ご相談

枚方公園駅前の女性鍼灸院。逆子、安産灸、つわりなどのマタニティー鍼灸を中心に、生理痛、生理不順、妊娠しやすい体づくり、頭痛、腰痛、更年期にも対応。

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受付時間
月・水・金 9時〜19時 火・土 9時〜15時
定休日
木・日・祝
アクセス
枚方公園駅前 西隣徒歩1分

プロフィール

院長の経歴  高橋節子

レディース鍼灸リブレ院長 高橋
  • 1960年生まれ
  • 大阪大学 基礎工学部生物工学科卒
  • 枚方市内の中学校で理科教諭
  • 子育て中は、塾・予備校に勤務
  • 夫の転勤で3年間スペイン・バルセロナに住む
  • 森ノ宮医療学園専門学校 鍼灸科卒
  • 岡田鍼灸整骨院勤務を経て開業
  • 北辰会会員
  • 漢方鍼灸臨床研究会 初級修了
  • 安産灸ネットワーク会員(講習会で講義や実技を担当)
  • 日本不妊カウンセリング学会会員
 

鍼との出会い

初めて受けた鍼施術

私と鍼灸との出会いは、学生時代の合宿。

バレーイラスト 大学に入ってからバレーボールを始めたわたしは、筋力不足と反り腰のため(と今推測される)、合宿所の階段を登れなくなりました。先輩に背負われて近所の整骨院に行き、初めて鍼をしてもらいました。その時は横になっているのも痛くて、鍼が怖いとか思う間もなく、でも帰りはゆっくり歩いて帰れました。その後もちょくちょくお世話になりながら、学生時代を過ごしました。

 

2年連続の流産

2回とも胎嚢は見えるが心拍は取れず。30年前は「安静しかない」という時代で投薬もされません。2回目は入院で、トイレもベッドの上というほどの安静でしたが、自然に流れてしまいました。

安静イラスト
今の時代なら「不育症」という病名で検査を受けるところでしょうが、その頃は「不妊症」という病名のみ。そして大学病院の検査を受けました。検査項目も今から考えたら比較にならない程少なかったと思います。卵管通水検査がチョー痛くて、吐きそうになって休憩室で寝て帰った記憶があります。結局、卵管が片方少し狭いのでは?というくらいで、大きな異常はなし。当時は20代前半だし、不妊検査を受けている人は周りにいなかったので、自分に欠陥があるような後ろめたい感じがしたものです。

落ち込み
姑からも「体の弱い嫁をもらって…」みたいな時代でした。嫁ぎ先からは男の子を生んでくれという期待もありました。

 

1人目の妊娠中の母の死

3回目の妊娠時は、医師の指示通りソッコー仕事をやめて、家で寝ていました。すると妊娠継続できました。今から考えると、夜の塾講師の仕事で冷えていた、疲れていた、というところでしょうか?その頃は体のことを何も知らなかったので、腹帯をしていたくらいで冷えに対して無防備でした。しかも母がガンを治すことを拒否して自宅療養していて、妊娠7カ月の時に亡くなったこともあり、自分の養生どころではありませんでした。

妊娠中母の死のイラスト
しかし、「何の医療行為もほどこさないと、人間はどのように死んでいくのか」をつぶさに見たことは、本当にありがたいことでした。あの時、今のように体に対する知識があったなら、もっともっと楽にしてあげることもでき、学びにもなったと思うことはありますが、自分の死生観を持てるように導いてくれた出来事でした。

 

1人目の出産

母の死の3ヵ月後の出産は、大学病院で。陣痛微弱で陣痛促進剤を投与され、七転八倒の出産でした。赤ちゃんを早く出すために、会陰を早い段階で切開されて、あとあと非常に痛い思いもしました。

出産前身動きが取れない
出産後まもなく、陣痛促進剤の投与による子宮破裂、産婦死亡の事例が次々と世間をにぎわせて怖くなりました。この陣痛微弱も今の知識なら、運動不足で子宮頸管の熟化ができてなかったことと、母の四十九日などで睡眠不足や疲れがたまって貧血気味になっていたためだとわかります。母子手帳に、出血がとても少なかったと記録されています。出る血液がない状態のため、おっぱいも出が悪かったです。こんな無知な出産をしないために、マタニティ鍼灸師として妊婦さんを応援したいと思っています。

夫の母も仕事をしていたので、出産後の面倒をみてくれる人がなくて、父がお手伝いの人を頼んでくれました。1日2時間でしたが、オムツの洗濯、買い物、赤ちゃんのお風呂の用意をしてもらって、すごく助かりました。この経験が、同じような境遇の妊婦さんへのアドバイスとして今役に立っています。

赤ちゃんのお世話
 

自然食との出会い

生まれた長女は3ヵ月くらいからアトピーと言われて、母乳からのアレルゲンとして卵、牛乳、小麦、肉類の除去食を1年半しました。母乳を卒業してからは、私は普通食になり、娘の方は少しずつ食べられるものを増やしていきました。食の大切さを学んだ時期でもあり、添加物や農薬、環境のことも学びました。 人間の自然治癒力の大切さも知って、カゼくらいならじっくり様子を見て慌てないようになりました。

 

2人目の出産

2人目を妊娠した時は、できるだけ自然で主体的な分娩がしたくて、現在も研修に行かせて頂いている大谷助産院にお世話になりました。冷えに対しては、相変わらず無防備でしたが、食事と運動についてはクリアできていたようで、大学病院で産んだ時の切開の後遺症以外はトラブルなく、納得のお産をさせてもらいました。

上の子は夫と義母にみてもらって、退院後家で次女と二人で生活していましたが、やはり産後は養生しなさいと言われるのは本当で、2週間後に体験したことのない頭痛が起こってしんどかったです。

頭痛
また、腰が抜けたようになって、歩けなくなり這って移動していました。普段元気な人は、産後も動けないわけではないのですが、やはり昔から「血の道」と言われるように、あとからトラブルになります。この体験から、産後の養生や骨盤ケアの必要性も強く訴えたいと思うようになりました。

 

バルセロナでぎっくり腰

学生時代以来、鍼灸はご無沙汰でしたが、夫の転勤でスペインに住んでいた時にギックリ腰になりました。

ぎっくり腰
動けなくて苦しんでいたら、友人が日本人の女性鍼灸師さんを紹介してくれて助かりました。羽生田さんは、車いすのサッカー監督を目指すご主人を支えるために、鍼灸マッサージの仕事をされていました。それがとても凛々しく、世界で生きていける技術はすごい、と感心したものです。

 

鍼灸の深さに魅了される

そして帰国後、子供たちも大きくなったので、鍼灸学校に入って国家資格をとりました。鍼灸のイメージを大きく変えてくれたのが、藤本蓮風先生との出会いでした。

鍼道具
整形外科のお手伝い、と思っていた鍼灸が、「治せない病はない」というのですから、うれしくてうれしくて、ぜひ学びたいと思いました。実際、蓮風先生の施術院に見学に行くと、難病の方やガンの方がいっぱい来院されています。お医者様も施術を受けに、また鍼を学びにたくさん来られています。もちろん「何でも治す」というのは、知識も技術も経験も気会いもすさまじい修行の結果です。蓮風先生の試行錯誤されたエキスを教えて頂けるのは、ありがたいことだと感謝しつつ、日々の臨床にあたっています。

 

マタニティ鍼灸師に

一方で、自分の女性としての失敗や経験を生かしたいと思うようになり、安産灸ネットワークの研修生に応募して2年間毎月東京に通って、マタニティ鍼灸師になりました。ネットワーク代表の戸部久子先生と明男先生も、私の大事な師です。

妊婦さんとお腹の赤ちゃんに、あふれる愛情を注いで、赤ちゃんに人生最高のスタートをさせたいという姿勢を学ばせてもらいました。迷いの中にある妊婦さんが、1回の施術で顔つきがみるみる明るくなり、母としての自覚と自信を取り戻していく様子は感動します。私もそうありたいと心がけています。

明男先生の関係で、経絡施術の流派の鍼灸も少し学びました。徹底して実技を学ばせて頂いたことも私の財産になりました。また、去年寿命をまっとうした父の看取りも、死の間際まで鍼灸は役に立つことを証明してくれました。どの経験も無駄なことはひとつもなく、この仕事に役に立っています。

今の願いは、鍼灸という医療が、哲学が、どれだけ人を救うか、多くの人に知ってもらいたいということです。そのために、うちの鍼灸院に縁ある方に来ていただき、鍼灸の魅力に触れていただきたいと思っております。